だからまぁ今度聞かれた時に困らないように当時を振り返ってみて「アサルトってなんだろう?」って考えてみた。
で、結論なんだけど、要はアレだった。デュークスタン(笑)
最初は戦士デッキに帝が入っただけだったけど、帝の枚数が増えたり雷氷のバランスが変わったり、気付いてみたら戦士が減ってたり挙げ句の果てに怒れる類人猿とかステバとか入ったりしてた。だからまぁそんなもんだと思う。
はじめたきっかけだって某シェイルさんのナイツのパロディみたいなもんだったわけで。
開闢が剣を振り回してた頃俺は帝が入った俺スタンをアサルトアサルト言って使ったわけだけど、結局は開闢ってやっぱムチャクチャ強いよねってことで使用頻度が減って、変異が流行る頃にはほとんど使わなくなった。でもたまには使うこともあった。まだ戦えたから。
本格的にアサルトを使わなくなったのはガジェが流行ってからかな?どう考えても戦える気がしなくなった。開闢変異なんちゃらかんちゃらはある程度実力がないと使いこなせなかったが、ガジェは誰が使っても強かった。むしろ今まで運だけで戦ってきた人が強くなりすぎた。
もっと大きかったのは帝がひとつのデッキジャンルとして認められたこと。上級を二桁入れても専用の構築をすればなんとかなる、むしろ中途半端にするなら特化した方が強いっていう感じになった。環境的にも中途半端で保守的なデッキよりも尖ったデッキの方が強力な環境になった。安定性よりもワンパンチが、多少のハンドアドよりも一撃のダメージが重視されるようになった。
アサルトは比較的安定したデッキに帝を入れることでアクセント的に攻撃性(奇襲性)を持たせたデッキだったわけで、これは周りが安定性重視のちまちました環境だったからこそ意味があった。今はと言うと、アサルトの奇襲性の部分より地味で控えめな部分が悪い部分として目立ってしまう。つまり、俺が最近アサルトを使わない理由は『環境に合わないから』ってことになると。
環境全体が控えめで謙虚な雰囲気になったらまたアサルトっぽいデッキで暴れてやりたいなっていうことで、まとまったはずだから一先ず封印しますよ?
あー、遊戯王はもっとちまちましてるべきだよな。一度に10枚20枚のカードが動いたり毎ターン壺使うようなうんこ環境はもういいからみんなが1枚2枚のアドだけを気にして戦う健全な環境に早くなれ。
ちなみに記事タイトルの『アサルチック』は、昔知り合いが『アスレチック』を言い間違えたもの。アサルトの話をする度に思い出す(笑)
おわし