これらはデュエリストの三要素と言われ、常に各所で議論の的となっています。
今回はこれについて最近考えたことを書いてみようと思います。
プレイング。プレイングは間違えなければいいのだから重要ではないとよく言われます。しかしこれははっきり言って間違いです。
そもそも、プレイングとは何か?その状況でどう動くかということ?
まぁそれもあるんですが、って言うか表面的にはそういうことなんですが。それだけなら確かに重要そうではないですね。だから表の面しか見ていない人がプレイングは重要ではないと言うわけですね。
まぁ何が言いたいかと言うと、『今どう動くか』というのはあくまで結論なんですよね。そこに行き着く過程には本当はとても奥の深い『読み』が存在するわけです。この読みこそがプレイングの最も重要なところなんじゃないでしょうか?
もっと前から考えれば、三要素のうちの『デッキ』、つまりデッキ構築もプレイングとセットです。デッキとは何か?デュエリストのプレイングはデッキを活かすためのもの?いやいや、逆です。デッキとは自らのプレイングを活かすための道具に過ぎない。デュエルとはデッキとデッキの戦いではなく、デュエリストとデュエリストの戦いでしょう?そこをはきちがえてしまったから、俺は不調続きなんだとやっと過ちに気付いたんですよね。
世界大会出場者のデッキが公開されていますよね?そのコピーを使ったら今まで勝てなかった人も世界に行けますか?答えはNO。デッキはプレイングの鍛練の結果、もしくはプレイングと共に生まれるものなんです。だから、本当に上を目指すにはコピーデッキはあまり意味をなさないのです。
『運』。
いいカードをうまく引かないということがあるでしょう。例えば、抹殺の使徒を引いて無駄ヅモって感じることってよくあるでしょう。
しかし、これを運という一言で片付けていいのでしょうか?それはね、逃げ以外の何物でもないですよ。
運と言われるものは、実は運ではないんです。要は、これもプレイング。運の悪さ、引きの悪さだと思っているものはプレイングの『読み』不足だと思って間違いないでしょう。
と言っても、俺自身そんな完璧に近いプレイングスキルは持っていません。そんな人に実際に直接会ったこともありません。
ただ、自分ができなくても理屈はわかるわけです。
俺は昔、デュエルには理屈ではない力が働いていると言いました。しかしこれこそが己の未熟さ、愚かさを表すものだったと思います。これに気付いただけでも次に進むための準備くらいはできはじめたかな?と思うわけです。
ちょっと自分のことを書きすぎましたね。
ですからまとめると、運はデッキ構築とプレイングによって生まれる力。デッキ構築力はプレイングと共に研くもの。
よく比率で表現されますが、この考え方自体がもうアレ。考え方によれば、すべてがプレイングのうちなんです。
あと、メモ的なことを書けば、二手三手ではトップにはなれないのかな。ということ。昔出会った例の彼を我々は三手先を読むと言った。しかし、彼の上にもいるんですよ、上がね。だから遊戯は面白い。
おわし