デュークです。
カイジを読むとつい自分のデュエルに置き換えて考える。思い当たる節があると何やら恥ずかしいような情けないような気にさえなる。
まだ何度も読み返したわけではないから細かい部分はまだ頭で覚えていても心に刻み込まれたとは言えない。とにもかくにも『考える』こと、それが必要不可欠であることを再認識した。
革命軍メンバーはこうして集まってサイトまで作り、その中で俺は戦っている。しかし、デュエル中は誰も俺を助けてはくれないし、俺も誰かを助けることはできない。それどころか、同じ大会に参加すれば優勝、もっと言えばプロモパラを取り合うのだ。そういう意味では一度戦いがはじまれば仲間も敵になる。他の敵と違うのはお互いの性格を熟知していることくらい。かえって知らない奴よりも質が悪い。
そんな中で頼れるのは誰でもない、自分自身である。
『考える』ことを放棄すること、それは唯一頼れる味方を捨てるということだ、そのハンデは大きい。このハンデを背負って勝つのは常人にはまず不可能だろう。思考の放棄=敗北という方程式が容易に成立する。これは昨日俺が身を以て実感したから言えることである。
俺はスキドレ式のサイカリを使っていて、うまいことスキドレを引いたため浮かれていた。その上『押収』まで引いていたのだから尚更である。ところがその『押収』こそが俺を敗北へと向かわせる。
『押収』で相手の手札を見た俺の思考は一気に停止した。ネフロードだった。しかも手札には『クリッター』『ピラミッド・タートル』『早すぎた埋葬』がある。スキドレでどうにかなる相手ではない。むしろスキドレは枷になる。そう考えると途端に恐怖心が襲ってくる。手札が1枚使い物にならない。手札1枚の重さはお分りだろう。まして相手はねちっこいネフロード。たまったものではない。
恐怖に駆られた心は焦るばかり。考えているようで実は何も考えていない。
結局浅はかな理論の下で『早すぎた埋葬』を選択する。他のカードに対処する術はたった1枚の『異次元の女戦士』しかない。
第一、他の2枚の手札はもはや見えていない。この時点で冷静さを欠いている…いや、完全に失っている。その後も結局『考えたつもり』になるだけで、何もできなかった。
2デュエル目もそうだ。俺はサイドチェンジでデビフラシュートに換える。そして初手。
・『デビルフランケン』
・『デビルフランケン』
・『ハリケーン』
・『巨大化』
・『死のデッキ破壊ウイルス』
なんという好手、『殺れ』という神の声が聞こえたような気がした。
先攻だった俺は2枚ある『デビル・フランケン』のうちの1枚を裏守備で出し、『死のデッキ破壊ウイルス』を伏せてターンエンド。相手は裏守備だけでエンド宣言。
「しめた!」と俺は思った。死デッキによって裏守備モンスターを破壊し、もう1枚のデビフラで『青眼の究極竜』を特殊召喚、『巨大化』を着ければ終わりだ。と、なんとも都合のいい戦略を妄想した。今思えばありえない。死デッキで落ちる裏守備など『異次元の女戦士』くらいしかいない。しかも相手はネフロード。裏守備にするモンスターなど『ピラミッド・タートル』か『魂を削る死霊』くらいなものだ。『ハリケーン』も持っているのだから、何もここで動く必要などなかった。しかし、そんなことなど考えもしなかった。焦っていた。勝負を焦っていた。
死デッキを発動すると、裏守備は死霊。当然だった。手札には『ネフティスの導き手』があったのを見た。
「これでは勝てない。」と思った。だがまだ遅くはなかった。ここで一旦待ち、次のターン、死霊が攻撃してくれば儲けもん、守備のままでもまだまだ焦る必要はない。が、ここでも『待ち』の選択肢が見えない。動く。
デビフラを召喚し、効果で『サイバー・エンド・ドラゴン』を特殊召喚する。『巨大化』を使って攻撃力8000。死霊に攻撃で相手のライフは200。見切り発車もいいところだった。おまけにそこでターンエンド。エンドの攻撃力が2000になっているのはわかっていた。そして、相手が導き手を持っているのも知っていた。が、なぜかエンド。せめて『ハリケーン』で『巨大化』を戻し、死霊に装備して破壊するくらいのことはできたはずだ。それなのにみすみす『ネフティスの鳳凰神』を出されるなど、大馬鹿者としか言いようがない。愚か。浅はか。
相手ライフは200。当然行動は慎重になる。そうなれば200を削るのは至難の業だ。ましてこちらは切り札を愚かな見切り発車で消費してしまった。可能性はほとんどなかった。相手がミスをするのを待つしかない。それ即ち負けである。
当然相手はミスなどしない。そのまま。
勝負は5枚の初期手札を見た時点で決まったのだった。「これなら行ける」と思った瞬間。『相手の分析』や他の手を考えた上での『吟味』をすべて放棄した瞬間。都合のいい妄想しか見えなくなった瞬間。『殺れ』という神の声に似た己に巣食う悪魔の囁きを聞いた瞬間…
それが『敗北の瞬間』だった。
緊張、恐怖、焦り、傲慢、怠惰…敗因となり得る要素は誰にでも少なからず心の中に持っている。問題はそれをどう抑えるかである。
そこで俺が出したひとつの答えらしきもの、それが『場慣れ』である。
一昨日の大会の決勝を見た。優勝したのは俺の半分生きたのかどうかもわからない少年。だが、彼はかなりの数の大会をこなしている。間違いない。俺とは違う。発想、機転、読み、そして心のコントロール。どれを取っても明らかに俺よりも上。それはウイング尊師にも言えることだった。伯仲した試合に見えたが、俺にはふたりの決定的な実力差が見えた。
結局のところ、心をコントロールする力は、その人物が元々持っている知力、度胸、忍耐力をいかにして最大限に引き出すか。そして、どれだけ場数を踏んだかによって決まる。この元々持っている力の大きさを『才能』、それを引き出すことと場数を『努力』と呼ぶのだろう。
最後に俺自身と俺のように勝てなくて悩んでいる人に向けて一言。
『努力しているのに勝てない』というのは嘘だ。努力したならそれだけの成果は必ず付いてくる。勝てないのは勝てるようになる程の努力をしていないか、努力したフリをしているに過ぎない。何にしても悪いのは相手でも仲間でも神でも運でもない。己の努力が足りないのだ。
と、カイジを読んだ勢いもあって書いてみた。が、どれも抽象的な言葉でしかない。ひょっとしたらこれこそが、作中の利根川の台詞にある『確信めいたもの』かも知れない。
おわし
1巻のはじめから読んだの?
考えは唯一の味方ってなんかかっこいいな。
正論だよ
ジャンケンですら必勝法があるんだから、ましてやカードゲームともなれば運以外の要素はそれよりも大きいのですよね、きっと。
上級者に効く1手は、「正しいと思うと人はとたんに疑わなくなる、理あるゆえに無防備、必ず殺せる」
って奴ですかね。
押収食らったあとにでも試してみてください。
あれは、ほとんど運の要素が無いよね〜って話